インドでまたまた空港難民

帰りは来るときと反対、ナイロビ〜ボンベイ、ボンベイで乗り換えて成田というコースなのだが、そのナイロビ〜ボンベイが今日は飛ばないという。17時間遅れだそうだ。そのくせボンベイ〜成田は通常どおり飛ぶというのだから、明日の飛行機でボンベイへ行っても既に飛行機はいない。ボンベイ〜成田は毎日フライトの便ではないのだ 。

理由は聞かなかった。飛ばないのに聞いても仕方がない。

エア・インディアがインターコンチネンタルを押さえたので、今晩はそこに泊り、明日ナイロビからボンベイ、ボンベイからシンガポール、シンガポールからJALで日本に帰る、というかなり厳しいルートになった。

日本に帰り着くのが当初の予定より1日遅れるが、帰国した次の日は時差ぼけを治そうという目的で休暇を多めにとってあるので、私の仕事にはギリギリ支障は無いだろう 。新婚ご夫婦も旦那さんは自営業だそうなので、まあ大丈夫とのことである。

そうなればこれは儲けものと考えた方が良い。ゆっくりと買い物もできるし、ナイロビの夜も楽しめる。ジョージさんにそう言うと、安心したようでやっと笑ってくれた。ジョージさんのせいではないのに、優しい人だ。

しかし、夜のナイロビは非常に危ないので、絶対ホテルから出ないでほしいと言われた。そんなに危ないのかと聞くと、

「バッファローより危ない」

とのことだ。言われたとおり、おとなしく夜はホテルにいることを約束する。

早速インターコンチネンタルへチェックインして、ナイロビの町へ土産を買いに行く。成る程、今まで見てきた店の1/10から1/20の値段である。しかしここでも値切り癖がついていて、ガンガン値切る。するとガンガン安くなるから不思議だ。

その夜はホテルで食事をしてそのまま寝る。翌朝、ジョージさんとワンギさんに送られてジョモ・ケニヤッタ空港へ。搭乗手続きの後、二人に丁寧にお礼をして出国手続きをした。ジョージさん、ワンギさん、素晴らしいケニアを見せてくれて、本当にありがとう。必ずまた来るから。

待合室に行くと、日本人が何人かいた。皆我々と同じ便に乗る人で、やはり1日遅れである。それぞれのサファリ体験などを話していると、あっという間に搭乗時刻となる。今度こそ本当にケニアとお別れである。ありがとう、ケニア。

飛行機は順調にボンベイへ到着。ここから同じエア・インディアでシンガポールへ向かう。しかし出発まで8時間ある。実はエア・インディアがインドでのホテルも手配してくれたのだが、もはや誰一人として信じてはいなかった。

ただでさえここはインドなのだから、外へ出たら何が起こるか判らない。ならば、このままここで飛行機の出発を待つのが最も賢明ではなかろうか、という結論に異議を唱えるものは一人もいなかった。

かくして、またもボンベイで空港難民となったのである。

その辺の椅子を適当に集めて車座 になりよもやま話。眠い人は眠る。人数が多いので、荷物は一個所に集めておけば、誰かの目に入り安心である。

トイレに住んでいるトイレおやじ達と戦いながら(紙をやるからチップをくれ、というのだ)用を足していると、一人の男が山のようにつぶした段ボールを抱えて入ってきた。はてなマークを飛ばしながら見ていると、トイレおやじが敷いている段ボールを交換している。どうやら、ベッドメイキングのようである。うーむ、やはりインドは奥が深いぞ。

泥のように流れる時間を泳ぎきって、いよいよチェックインが始まる。くる時もそうだったのだが、インドというところは、預けた荷物を自分の目で確認しないと、きちんと自分の飛行機に積まれるかどうか、判らないところなのだ。旅行会社の人にもしつこく確認するようにと言われていた。行きもきちんと自分たちで確かめたので、ここでもそうしようとすると

「既に機内に積み込んでしまった。確認することはできない」

との返事。しかし、そうですか、わかりました、とはもはや誰も言わない。とにかく確認させてくれと粘ったが、埒が明かない。とうとう

私を信じろ。確実に積んだのだから」

と言い出した。我々が信じられないのはあなたではない。エア・インディアなのだ。

結局確認はできないまま搭乗となった。しかし出発時刻がきてもピクリとも動かなければアナウンスもない。そのまま2時間が過ぎ、やっと機長のアナウンスがあった。

「隣のターミナルに停まっているドバイ行の便と、当機の荷物が入れ替わって積まれていた。今全ての荷物をあるべきところに積んだので、これから飛ぶ」

これ、みーんな、本当の話なのである。

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