「お前、犬と猫どっちが好きだ?」
などと、どうでも良いありがちな質問をされたら、迷うことなく
「犬」
と応える私ではあるが、だからといって決して猫が嫌いな訳ではない。いや、
「可愛いと思う」
あるいは
「好きである」
もしくは
「もう、あの感触がたまんない。すりすりしたい!」
と思うことも度々である、と言っても過言ではない。
比較の上で、という意味で猫より犬が好きなのであって、大抵の動物は好きである。ムツゴロウさんに対しては
「昔はカッコイイ生き方してたのに」
とは思うが、動物王国は欠かさずに見る。動物が出ているからだ。
従って、我が家には猫がいる。昔は犬もいたが今は猫だけだ。それも2匹。どちらも14才という、猫にしては高齢な部類に入る猫だ。しかし、近所の御年21才という大長老猫から見れば、家の猫などは鼻たれ小僧の部類だろう。
1匹は名前を「ピーター」、もう1匹は「ゴエモン」という名前をもらっている。大した意味もなくつけた名前なので、彼らは大抵の場合、「ピー」「ゴエ」と略して呼ばれている。フルネームで呼ばれるときは、何か悪さをしたときだけだ。
どちらも今では嫁に行って2人の子持ちとなった妹が、デパートのペット売場の
「子猫あげます。可愛がって下さい」
からもらってきた由緒正しい雑種の猫だ。
ピーターの方は、売場で悪ガキどもにさんざんいじくり回されたのだろう、我が家に来たときには完璧な自閉症猫となっていて、結局私にしかなつかなかった。
私が一人暮らしを始め、妹が嫁に行ったあと、10年近くも両親から餌をもらっていたのに、今はそんな恩も忘れ、たまに両親が子世帯である2階に上がってくると、スタコラサッサと物陰に隠れてしまう。
両親は「可愛くない」と言っているが、無理もない。
かたやゴエモンは、人見知りをせず誰にでもすり寄って行く。ただし、腹が減っているときだけだ。食欲が満たされているときのゴエモンは、とにかく抱かれるのが大嫌いな猫と化す。人間の横に座って撫でられるのは好きなくせに、抱き上げるととたんに暴れ出す。
そう、我が家の猫は2匹とも可愛くない猫なのだ。
そんな猫達だが、歳の割には足腰も丈夫、食欲も旺盛、こりゃあ長老猫に迫るかも、と思っていた矢先、ゴエモンの様子がおかしくなった。ある土曜日の朝を境にピタリと餌を要求しなくなったのだ。いつもは餌にありつくまでニャーニャーとうるさく付きまとうのに、それがない。ソファに寝そべったままこちらを見上げているだけだ。
こいつは食べることが人生最大の楽しみであり、もし去勢されていないアメリカン・ピット・ブル・テリアから「ゴエモン君、君に私の餌を分けてあげよう。」と言われたら平気で鼻先をこすりつけに行く様な、食い意地が張りまくった猫である。それが餌を食べない。これは私が酒を飲まなくなった様なものである。こう書けば私を知る何人かは事の重大さがおわかりだろう。
もっとも、食べなくなったといっても、食欲がない訳ではなさそうである。口元に餌を持って行くと、臭いをかぎ、食べたそうな様子はあるのだが、口に入れようとしない。
さぁ、大変だ。こいつらはもともと医者知らずで、去勢手術のときに近所の動物病院の世話になっただけである。従って、猫も飼い主も医者慣れをしていない。
慌ててタウンページを開いて土日営業の動物病院を探した。以前お世話になった病院は5年前に廃業しているのだ。車で10分程の病院を見つけ、夫婦でゴエモンを運び込む。
移動用のキャリーバッグなどは持っていないので、バスタオルにくるんで、顔だけ出すようにしてショルダーバッグに突っ込み、押さえつけての運搬である。車の中でゴエモンは力無く悲しげに鳴いていた…。
これはゴエモンの闘病記である。つまりは、猫の闘病記ということだ。ほらほら、そこのあなた、今引いたでしょ。そうですよね。なんたって猫ですもんね。
でも何を書こうと私の勝手です。もちろんふざけろこのバカと思われるのもあなたの勝手ではありますが。