最後の朝

その日の朝5時頃、目覚めてみるとゴエモンの様子がおかしかった。いつもなら弱っていても餌の催促だけはするのだが、私の椅子の上から全く動かない。

「ゴエモン! ゴエモン!」

と大きな声で呼びかけると、ほんの少し頭を持ち上げ、振り絞るような声で

「にゃあ、にゃあ、にゃあ。」

と三度鳴いてまた頭を戻してしまった。あきらかにいつもと違う鳴き声だ。とうとう……。私は今日がその日であることを悟った。階下で洗濯をしている妻を急いで呼びに行き、ゴエモンの容体を告げる。

実はゴエモンは、おとといから、何をやっても食べなくなってしまっていた。無理矢理押し込んでも吐き出してしまう。仕方なく私達は、猫用ミルクを注射器で与えていた。決意に反して点滴という考えも浮かんだが、ゴエモンを見てしまうと、これ以上の苦しみを与えることは、私達にはとてもできなかった。先生からは、

「食べられなくなったらあっという間です。」

と言われていたので、この時点で最後が近いことを覚悟していた。

ゴエモンは、椅子の上にタオルを敷いて寝かせている。この場所が彼の最近のお気に入りだ。その周りを夫婦で囲んでゴエモンを見守った。ゴエモンはつらそうにしているが、呼吸はまだしっかりしていた。肺が規則正しく動いているのがわかる。だが、いくら呼びかけても返事はない。声を出すことすらできない程弱ってしまったらしい。夕べまではフラフラしながらも歩き回っていたのに。

大きく腫れ上がってすっかり毛が抜けてしまった顎や喉を撫でてやると、弱々しく首を伸ばしてもっとしてくれ、と催促をする。妻は優しく背中を撫でながら、声をかけている。口が閉じない為、出たままになっている舌が乾いてしまったので注射器で水を垂らしてやる。反応はない。

そんな状態がしばらく続いた。私達は、ゴエモンに呼びかけ、頭や背中を撫でてやることしかできなかった。ふいにゴエモンが足を伸ばし、もがいた。何をしたいのか分からなかったが、ずっと同じ姿勢で寝ていたので寝返りを打ちたいのだろうと勝手に決め、向きを変えてやると再び落ち着いた様子に戻った。

ゴエモンにつきっきりとなって3時間が過ぎた頃、呼吸回数が減ってきた。規則正しく繰り返されていた呼吸が、何回かの浅い呼吸の後、深い呼吸を1回というペースになった。それでもまだこいつは息をしている。心のどこかで、早く楽になって欲しいという気持ちと、少しでも長く生きていてくれという気持ちが複雑に交差する。

5時間後、とうとう呼吸回数が90秒に1回程度まで落ち込んだ。しばらく無呼吸が続き、ふいに痙攣のような大きな呼吸をする。私は手のひらをそっとゴエモンの胸にあて、次の呼吸をジリジリと待つようになった。妻は冷たくなった足先を握り締めている。これが最後の呼吸なのか、次はないのかという不安と、胸が大きく上下に動いたときの安堵とが何度も繰り返された。

それから1時間、ゴエモンの両足に痙攣が始まった。そして、ふいに大きく体を動かし、小さな声を上げた。頭を私の方に向け、この体のどこにそんな力が残っていたのかと思うほど手足を一杯に伸ばす。私は、半分起き上がったゴエモンの体を抱きとめ、顔を見る。ゴエモンの右目の瞳孔が徐々に開いていった。待て、待ってくれまだ早い、という気持ちに囚われ、抱く手が震えた。しかし、やがて左目の瞳孔も開き始め、ついにゴエモンは最後のときを迎えた。抱きとめた手にゴエモンの重さが加わる。ゴエモンの14年の生涯が静かに終わった。

私と妻は

「お前はよくがんばったぞ。えらかったな。ゆっくり寝ろよ。」

としか言えなかった。妻は泣いている。私も泣いた。妻の前で泣くのはこれが初めてだ。だが目の前で、私の手の中で一つの生命が終わろうとするときのあの、ひりつく様な気持ち、切なさ。こればかりは何度体験しても涙が出てしまう。

ピーターは、何も知らずにウロウロとあたりを歩きまわっていた。抱き上げてゴエモンと最後のお別れをさせようと思ったが、なぜかピーターはゴエモンを見ようとしない。近づけても頭をあらぬ方向へ向けてしまう。14年も一緒に暮らした相棒がいなくなったことに気づかないのか、気づいていて避けているのかは分からないが、ピーターの様子はいつもと同じだった。

亡骸を、いつもゴエモンがくつろいでいるときの姿勢にしてタオルをかけ、線香を炊いた。それから、代々我が家の犬や猫を弔ったお寺に電話をして火葬場の予約をする。飼い主が立ち会いで骨にして拾ってあげられるところだ。その後、ペット用の共同墓地へ埋葬することになる。何もそこまで、という方もいるだろうが、ほっといて下さい。

私達夫婦と両親の4人でゴエモンをお寺へ連れて行き、花とゴエモンが好きだった餌と一緒に焼いてもらった。釜から上がったゴエモンの骨は真っ白で、思いの他しっかりと形が残っている。拾い上げて小さな骨壷へ入れると、悲しいけれどなんだかやっと踏ん切りが着いたような気になる。共同墓地へ入れるのは、合同慰霊祭の後だそうで、それまでの20日間程は、我が家に骨を持ちかえり供養することにした。預かってももらえるが、狭くて暗いロッカーの中ではゴエモンが可哀想だ。これは飼い主バカの成せる業である。

その帰り道、病院へ寄って先生に報告した。先生は、全身に転移をする前に楽になれたので、かえってゴエモンにとっては良かったかもしれませんね、とおっしゃった。やはり同じ時期に同じ部位の癌が発見された犬がいたが、若いせいもあって進行が早く、手術や抗癌剤で治療したけど2月には亡くなってしまいました、と教えてくれた。ゴエモンはそれほど苦しまずに逝けたので、これで良かったと思える。先生にお礼を言って家に帰った。

その夜、妹がやってきた。仕事を休めずに死に目に会えなかったのだが、朝方ゴエモンの夢を見たと言っていた。夢の中のゴエモンは昔のままの姿でみんなと一緒に遊んでいて、人間の言葉で「楽しいね。楽しいね。」と喋り、はしゃいでいたそうだ。やっぱり虫の知らせだろうか。妹はゴエモンに手を合わせ、「ありがとう。」とお礼を言った。

ついにこの闘病記も終わってしまいました。書きながら、いつまで続けられるのだろうか、いつかは最後を書かなければならないだろうな、とぼんやりとは考えてましたが、まさかこんなに早くその時が来ようとは、思ってもいませんでした。たかが猫の話しにお付き合い下さった皆様、ありがとうございました。お見舞いのメールまで下さった方々、本当にありがとうございました。この闘病記はゴエモンの四十九日まで公開したあと、削除しようと思ってます。でもこれ、ゴエモンに読ませてやりたかったなぁ。

追伸。四十九日が過ぎたら消そうと思っていましたが、「消さないで」という声を思いのほか大勢の方からいただき、このままにすることを決めました。

ありがとうございました。

前のページへ | HOME