5.女王陛下の命の恩人?

その列車の運転士は緊張していた。そして慎重にかつ迅速に列車を走らせなければならなっかた。というのも、それは、どうしても臨席しなければならない事態が起きたため、急ぎバッキンガム宮殿へ帰らねばならないビクトリア女王を乗せた列車なのだった。

しかし、雲のような濃い霧がたちこめ、視界は極端に悪い。運転士はヘッドライトに照らされた線路から一時も目を離さず、列車を走らせた。

その時である。運転士の目に、霧の中で狂ったように両手を振り回している黒い人影が飛び込んできた。

「なんだ!?」

運転士は慌てて急ブレーキをかけた。女王が座席から転がり落ちていないことを願って。警備兵や車掌達が、止まった列車から飛び降りて線路上を調べてみる。車掌が列車から200m程前方まで歩いて行ったとき、その危険を発見した。

鉄橋が氾濫した河川の奔流に飲み込まれ、押し流されていたのだ。あのまま列車が走っていれば女王陛下の命も濁流に沈んでいたことだろう。

しかし、誰が手を振ってその危険を知らせてくれたのか?あたりには人影はなく、なんの痕跡も残っていない。だがしばらくして機関士はまたあの黒い人影が現れたのを見て驚いた。影は確かに見えるのに、そこに人はいない。

機関車によじ登ってヘッドライトを見ると、そこには巨大な蛾がはりついていた。広げた羽根はまだ弱々しく動いている。その羽根の動く影が濃い霧に映り、狂ったように手を降る人影に見えたのである。女王陛下は1匹の蛾にその命を救われたのだ。

この蛾は、今でもロンドン博物館でその姿を見ることができる。らしい。

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