どんな分野にも天才はいるもので、これからお話するアーサー・ファーガソンという男も、一種の天才だった。もっとも、ある時まで自分にそんな才能があることなどは、全然気がついていなかったのだが。
1920年代のある日、彼はロンドンのトラファルガー広場にいた。そして、何気なくネルソン記念柱を見ていたとき、彼は自分の才能に初めて気がついた。一人の男がやはりネルソン記念柱をしげしげと見ているのである。ファーガソンは彼の案内を買って出た。男はアイオワから来たアメリカの金持ちだった。
「この柱の上の銅像は、イギリス最大の英雄、ネルソン提督の像です。立派なものでしょう。これがなければトラファルガー広場はただの広場になってしまいます。ああ、でもなんと悲しいことでしょう。イギリスは負債の返済のために、これを売り払わなくてはならないのです。」
金持ちの男は大いに驚き、そして気の毒そうに金額をたずねた。
「たったの6000ポンドです。もちろん、正当な買い手、なによりイギリスの栄光の歴史を理解して頂ける方でなければお売りできません。そして、ああなんということ、このつらい任務には私が任命されているのです。」
ファーガソンは男にこう言った。男は、ファーガソンに自分がどれだけ大英帝国の栄光を理解しているか、そして6000ポンドの支払い能力が充分にあるということを理解させようと、賢明に説明した。男の熱心さに負けたファーガソンは、電話で上司と相談し、その金持ちのアメリカ人との商談をまとめあげた。
男はすぐに6000ポンドの小切手をファーガソンに渡し、ファーガソンは領収書と信用のおける運送業者の住所を男に教えた。男はその足で運送会社に行き、ネルソン像の輸送を依頼したが、どうしたことか業者は笑ってばかりで相手にしない。憤慨した男は警察に駆け込み、態度の悪い運送業者の摘発を依頼した。男はスコットランド・ヤードが、その名誉にかけて「あなたはだまされたのだ。」と断言するまで、ネルソン像は自分のものだと信じ切っていたのだった。
この成功に己の才能を自覚したファーガソンは、次々に「大物」を販売していった。以下にそのリストをあげてみよう。
この年、警察には国会議事堂を1000ポンドで買ったというアメリカ人が現れ、また別のアメリカ人は、バッキンガム宮殿に2000ポンドの手付金を支払ったのに、所有権の証明書がこないと苦情を訴え出た。
エッフェル塔販売後は、カモが多いと思われるアメリカへ渡り、「セールス」を行った。こうして彼はかなりの蓄えができ、引退を考えたが、その前になんとしても販売したい「大物」が残っていた。自由の女神である。幸い顧客はすぐに見つかった。彼は得意のセールストークを始めた。
「この自由の女神像のためにニューヨーク港の拡張予定が大幅に遅れているのです。確かに女神像はアメリカのシンボルのひとつでもありますが、単なる感傷でアメリカの発展を妨げてはいけません。ですから、この女神像をどかしていただけるなら、どなたにでもお売りすることを合衆国政府が決定したのです。」
これを聞いて10万ドルの供託金を用意するために金策に走りまわったのが、シドニーから来たオーストラリア人である。自由の女神の販売も成功するかに見えた。
しかし、彼は致命的な失敗をおかしてしまった。彼ともあろうものが、購入の記念にと、買い手の男と一緒に自由の女神像の前で記念写真を撮ってしまったのである。金の用意が遅れてファーガソンが焦り始めたころ、オーストラリア人も、ようやく疑いの目を向け始めた。とうとう彼は警察に写真を持って行ってしまったのだ。
これが決定的な証拠となり、警察は、今までさんざん翻弄してくれた、国宝的記念碑を売り飛ばす凄腕セールスマンをついに捕らえることができた。ファーガソンは5年の禁固刑に処せられた。
しかし、彼は1930年に釈放されるとロサンゼルスに移り、詐欺で稼ぎ続け、1938年に死ぬまで、豪勢な生活を送るのだった。やはり天才である。