9.消えた母親

1889年、パリでは万国博覧会が開催されていた。詰めかける観光客のためにホテルはどこも満員、部屋を確保できれば、まさしく幸運だった。しかし、そんな中、インド帰りのイギリス人母娘が、パリでも指折りのとある高給ホテルに2部屋のシングルルームをとることができたのは、このあとに起きたことを考えると幸運とは言えなかった。

イギリス人母娘は、ホテルに着くと各々宿帳に記入し、母親には342号室が手配された。ベルベットのカーテン、マホガニーのテーブルなどがある豪華な部屋だった。しかし、ここで母親が突然発病し、ベッドから起きあがることもできなくなってしまった。診察したホテル勤務の医師は、娘にもいくつかの質問を行った。その答えを聞いた医師は、ホテルの支配人と何やら部屋の片隅で相談をした後、娘にこう言った。

「お母様の病気は大変重い。治療するための特別な薬は、パリの反対側にある私の診察室にしかない。私はお母様の容態の変化に備えてここを離れられないので、かわりにあなたが取りに行ってくれないか。」

娘は医師の馬車に乗り、診察室へ向かった。のろのろと走る馬車にイライラし、診察室の事務員ののんびりとした対応に腹をたて、再び馬車の歩みの遅さに癇癪をおこしながら娘がホテルに帰り着いたときには、既に出発から4時間が過ぎていた。

娘は、馬を飛び降りロビーへ駆け込み支配人に

「母の具合はどうですか。」

と訊ねたが、支配人の返事は信じられないものだった。

「どなた様のことでしょうか、お客さま。」

娘は時間がかかった理由を賢明に説明したが、支配人の態度は変わらなかった。

「しかし、お客様、私共のホテルには、お客様がおっしゃる様なご婦人は宿泊されておりません。お客様はお一人でお着きになったではありませんか。」

娘は気も狂わんばかりになって反論した。

「宿帳を見せてよ。さっき二人で一緒に記入したわ。あれを見ればすぐ判るわ。」

直ちに娘の前で宿帳が開かれた。支配人がページに指を走らせる。中程に娘のサインがあった。そのすぐ上に母親のサインがあるはずだった。しかし、そこに書かれているのは全くの別人のサインだった。

「私達は二人ともサインをしたわ。そして母は342号室へ入ったのよ。今でもそこで寝ているはずよ。とにかく部屋を見せてちょうだい。」

支配人はその部屋にはフランス人が宿泊している、と言った。しかし、娘が納得するはずもなく、部屋へ行くことになった。342号室には人気がなく、見知らぬ荷物が置かれているだけだった。ベルベットのカーテンも、マホガニーのテーブルも、消え失せていた。部屋の調度品は、全てさっき娘が見た物とは全く違うものになっていた。

娘は言葉をなくし、ロビーに戻った。そこに母親を診察した医師がいた。母親のことを訊ねたが、娘に合ったことはなく、ましてやそのような女性を診察したこともない、と言い張った。

娘はこの一件をイギリス大使館に訴え出たが、大使館はまともに取りあわなかった。警察も新聞社も反応は同じだった。娘は精神病院へ閉じこめられた。

この不思議な話はこれで全てが終わっている。支配人と医者が嘘をついたのか、娘が狂っていたのか、あるいは母親が本当に「いなくなって」しまったのか。真相はわからない。

ただ、支配人が嘘をつく理由なら、一つだけ推測できる。娘の母親がインドからペストを持ち込んでしまい、それが表沙汰になって万博が台無しになることを恐れたホテルの支配人が、握りつぶす画策をした、というものだ。

でもこんな真相じゃつまらん、という方もいるでしょうね。私もそうです。

HOME