4.人命救助

もう25年以上前の、寒い冬の夜のことだ。仕事が長引いてしまった私は、その日珍しく一滴の酒も飲まずに帰宅の途に着いた。駅に着き改札を抜けると、電車の音が構内に響いてきた。あわててホームへ駆け上がる。滑り込んで来た電車に飛び乗り、やれやれと一息つくと、車掌のアナウンスがその電車は途中駅止まりだと告げている。時刻は既に終電間近だ。

(まあいいか。今寒い思いをするか、後でするかの違いだけだ。もしかすると乗り換え駅で接続するかもしれないし。)

その時の心境はそんなものだった。しかし、世の中そう甘くはない。この乗換駅で、私は20分も待つはめになった。事件はここで起こった。

利用駅の改札がホームの先頭にあるため、私は先頭車両が止まる位置までホームを歩いて行った。そのあたりには、電車を待っている人は誰もいない。

ベンチに腰掛け、鞄から文庫本を取り出し、読み始める。しばらくすると、一人のおじさんがふらふらとこちらへ歩いて来るのが見えた。どうやらかなりきこしめしている様子で、足下はかなりおぼつかない。服装はどこから見ても完璧なサラリーマン。私もそうだが。

おじさんは、私が座っているベンチの斜め前の柱に、上体をふらふらさせながらもたれかかった。

(空いているんだから座ればいいのに。)

などと余計なことをチラッと考え、私の目は再び文庫本のページへ。

何分くらいたったのだろうか。「ドサッ」という音で私は顔を上げたた。なんだなんだ。なんの音だ。あたりを見回したが、ホームには何も落ちてないし、周りには誰もいない。

ん? 誰もいない? 私は慌てて立ち上がり、まさかと思いながらホームの下を覗き込みんだ。・・・いた。あのおじさんだ。見事にホームから転落して、線路を枕に寝ている。額のあたりから出血もしている様子。そのとき、アナウンスが流れてきた。

「まもなく7番線に電車がまいります・・・」

7番線と言えば、まさに私が立っているホーム。ということは、このままでは、このおじさんの上を電車が通過することになる。倒れている位置から判断すると、頭の上半分と腰のあたりから3分割されそうだ。それとも巻き込まれて全身ばらばらの細切れ肉になるのかな、などと考えている暇はない。

駅員の姿を探したが、どこにも見当たらない。ホームの中ほどにある事務所まで呼びに行く時間があるかどうか。私は瞬間的な判断を迫られた。

そして次の瞬間私はホームから飛び降りていた。おじさんの足を掴むと、そのまま引きずり、隣の線路まで移動させることにしたのだ。隣の線路にはホームはなく、構内用か貨物用か分からないが、あまり使われていない様子だったのだ。おじさんの顔は石にこすられ、さらに幾つか傷が増えたようだが、幸い気絶しているのか、酔って人事不省なのか、文句は言われなかった。

私がむやみに重いおじさんの体を引きずって、やっとの思いで動かし終えたたころ、ようやく駅員が私を見つけてくれ、泥まみれ汗まみれで労働した私に暖かい言葉をかけてくれた。

「バカヤロー、そんなとこで何やってんだ!」

「この人が落ちた。」

日本の駅員は優秀だ。この私のたった一言ですべてを理解した彼は、線路へ飛び降り、手にしていたカンテラの様なものを振り回し始める。このとき、電車はすでにホームに差し掛かっていた。

日本の運転手も負けず劣らず優秀である。素早く異変を察知しスピードを緩め、電車はおじさんの落下地点から3mくらい手前で止まった。落ちた場所がホームの先端だったから良かったのだろう。電車は停車するために減速しているのでもとからスピードは遅くなっていたのだから。

それから私と駅員でおじさんを担ぎ、ホームへ上げた。すぐに別の駅員により、救急車が手配される。おじさんの怪我は大したことはなさそうだが、頭を打っている筈なのでちょっと心配。

野次馬も集まってきた。みんな酔っ払いで好き勝手ことを言っている。

「俺は最初から全部見てた。この人がホームから落ちたんだ。」

と、見たままを誰彼かまわず喋りまくる酔っぱらいのおやじが現れたときは思わず、ホームへ突き落としてやろうか、と考えなかったと言えばあからさまな欺瞞であると言わざるを得ない心情になった。早く言えば

「殴ったろか、おっさん。」

という気持ちである。ほんと、自分以外の酔っ払いは許せない時がある。

駅員は私に名刺をくれ、と言った。大事な名刺を知らない人に上げるのは嫌だったので断ると、後で事情を聞かせてもらうかもしれないので、などと脅かされ仕方なく1枚渡す。やがて救急車が到着し、おじさんは担架で運ばれて行った。

結局私はその電車には乗れず、次の電車まで待たなければならなかった。次は最終電車だ。また20分以上の待ち時間である。再びベンチに座り、本を読み始める。駅員は私に礼を言うと、ストーブが燃えている暖かい事務所へ戻って行った。私だって一生懸命働いたんだから、お茶ぐらいいれてくれてもいいのに、と思わなかったと言ったらこれまた欺瞞であるから言わない。

やっと終電車がやってきた。やれやれと乗り込むと、結構な混みようである。当然空いている席などないので、吊革に掴まろうとして座席の方へ歩いて行くと、2人連れの若い女性がさっと席を空けてくれた。おお、人命救助というかなり良いことをした私に親切にしてくれたのか、と一瞬感謝したが、この電車の人々が今の事件の詳細を知っている訳がない。

これはいかなることなるか、席は譲ることはあっても未だかつて譲られたことはない。はてなとなってふと自分の胸に目をやれば、そこにはかなりの血痕が。ベージュ色のコートにかなり鮮やかにベタベタと付着している。これは確かに気持ち悪いだろうなあ、と納得し、安心して腰掛けた。決して凶悪な顔はしていないつもりだが、誰一人として「どうしました?」と聞いてこないのは寂しかった。都会の風は冷たい。

それにしても。駅員も教えてくれればいいのに。まあ、エイズなんて戦勝国の風土病位にしか思っていない頃だったので仕方ない、なんて訳ないだろ、JR○○駅の駅員!いや、気づかなかった私も悪いが。

次の日、会社へ電話があった。あの駅の偉いさんのようだ。私の上司と何やら話したらしく、そのあと私は上司から誉められたが、何も奢ってはくれなかった。ケチな上司である。仕方なくまっすぐ家へ帰ると、留守番電話にメッセージが入っていた。

「うっうっう、あ、ありがとう、うっ、ございました。おかげで、うっ、主人の、うっうっ、命が・・・」

泣きながら話す女性の声。どうやらあのおじさんの奥様のようだが、帰宅後いきなり女性の泣き声を聞かされた私はかなり動揺した。どうやって私の電話番号を知ったのだろう。そうか、上司が駅の偉いさんに教えたんだな。勝手なことをして。社員のプライベートを部外者に漏らすとは不届きな上司である。案の定、その上司はそれから3年後、へまをしでかして会社を去っていった。だいたいこいつは・・・いかん、関係ない話になるところだった。

奥様は、ご自分の名前も住所も何も言わなかったので、こちらから連絡をすることはできなかった。駅に問い合わせれば可能だろうが、そんな気にもなれず、あの事件は私の中で過去のものとなっていった。

それから1週間ほどして、なんとその方からお歳暮が届いた。同封されていた手紙にはあの時のお礼が書かれている。どうやら駅員がかなり大袈裟に伝えたようで、「命の恩人」「このご恩は」などといった、実生活ではあまり見かけない言葉があちこちにちりばめられている。丁寧なお礼状を送って、このようなことはもう止めてほしい、と伝えた。

何故なら、お歳暮の中身が私の大嫌いな椎茸だったからだ。

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