翌日、ホテルの車でダラス空港へ。ちゃんとアメリカン・エアラインのカウンター口へ届けてくれた。噂ではフォートワース空港ではターミナル間を飛行機で行き来しているというではないか。間違ったら大変である。
荷物をおろすと、ポーターが近づいてきて、荷物を持とうとする。たかが50m程度、自分で転がすわい、と断ったが、あれよあれよという間に持っていってしまう。また余計なチップがかかるではないか。仕方なしに後に続いてへろへろ歩いてチェックインカウンターに到着。えーと、チップ、チップと財布を広げてびっくり。ドルはきれいに使ってしまっていたのだ。ポーターはこれ見よがしに右手を上に向け、左手には高額紙幣を握りしめている。
やけくそで、硬貨を少しとメキシコペソを押しつけ「ありがとね」と言ってさっさとその場を立ち去ってしまった。後ろでなにやら呪詛めいた言葉を聞いたが、「わし、英語わからんもんね」とかまわずチェックインの手続きを行う。機内預かり5kgオーバーを見逃してもらい、身軽になった。
出発まで1時間程、空港内を見物することにする。なにしろでかいので歩きがいがあるというものだ。あっちをうろうろ、こっちをきょろきょろ、まるで野良犬の散歩のようだ。そろそろ時間か、と搭乗口へ行ってみると、なにやら人垣ができている。なんだなんだと耳を澄ますと、係員の声が聞こえた。
「すみません。機長が病気で飛べません。今、別の機長がこちらへ向かっていますが、自宅からなのであと3時間かかります。」
スクランブル要員は自宅にいて、通勤に片道3時間かかるのか。いい根性してるぞ、アメリカン・エアライン。仕方なく、またも野良犬になって散歩を行う。おかげで予定外の買い物をしてしまった。
定刻から3時間30分遅れで無事離陸。あとは食べて読書をして寝てまた食べて映画を見てまた読書でもすれば成田に着くはずだ。ここで私と妻は、帰国後旅行会社に返還請求する費用の計算を始めた。
「えーと、チチェン・イツァーの費用だろ、それに朝食代、それから・・・」
「担当者の名前なんだっけ?」
「○川っていう女性だ。覚えてろよ〜、○川!」
などと機内で損害金全額返還要求に燃えていたのであった。飛行機は無事成田へ到着、迎えに来てくれた友人の車で自宅へ帰った。明日からはまた仕事である。
翌日、自分の会社から旅行会社へ電話をかけ、○川さんと話をする。なんだかんだと支払いを渋るであろうと予測をたて、すべての領収書やメモなどを前にして万全の体制で話をした。
「すいません。実はこれこれで、これだけ余分に支払ったことになるのですが」
「大変申し訳ありません。すぐにお伺い致します。」
あらら、あっけなく認められてしまった。良心的な旅行会社である。2時間後、会社近くの喫茶店で○川さんとご対面。旅行の申し込みも電話と郵便だけだったので、初対面である。詳しく事情を説明すると、こちらの要求は100%認めていただけた。
「あの、こんなこと聞くのもなんですが、こんなにあっさり認めていいんですか。」
と尋ねると、
「実は、お電話がある前から今回のご旅行で色々トラブルがあったのは知っていたんです。」
「現地から連絡でもあったんですか?」
「いえ、じつは、お客様がお乗りになったダラスからの帰りの便に、私も乗っていたんです。それで、機内での奥様とのやりとりが耳に入ってしまって…。私の名前を呼ばれていましたでしょ。すぐ斜め後ろの席に座っていたんです、私。で、これは帰国されたら絶対電話があるな、と覚悟していました。」
ガーン。本人があの飛行機に乗っていたとは。そういえば、トイレに立ったとき、すぐ後ろの席でノートを広げて仕事をしている若い日本人女性がいたっけ。一人旅のようなので、なんとなく印象に残っていたのだ。仕事でマイアミを下見に行った帰りだったそうだ。
「それは失礼しました。何か気に障るようなこと、言ってませんでしたか?」
「いいえ、ただ私の名前と絶対取り返す、というのを何度も…」
これ以降、私は人の悪口はトイレの中ですることにしている。
こうして、メキシコのまぬけ旅は終わった。これが我々夫婦のバカ旅の原点である。このあと、どんな旅をしても全てバカ旅と化してしまうことになるのだが、今では宿命と諦めている。
その話はまたいつかお届けする機会があるやもしれません。妻は恥ずかしいからやめろ、と言うのですが。
バカ旅の原点いかがでしたでしょうか。
言いたいことはなんでもこちらまで。