なんてことだ

そこは、かなり繁盛している病院のようで、犬2匹、猫1匹、インコ1羽が飼い主と一緒に待合室にいた。

初診である旨を受付けに告げ、部屋の隅へ行きゴエモンの顔を壁に向けてソファに座る。どうやら他の患畜さん達は初めてではないようだ。皆おとなしく順番を待っているが、ゴエモンは相変わらず力なく鳴いている。

やがて診察室へ呼ばれた。先生は口髭をたくわえた温和そうな方である。年齢もお若そうだ。私たち夫婦の先生に対する第一印象はすこぶる良いものであった。そしてそれは間違いではなかった。

「どうされました?」

実は…と経過を説明すると、ゴエモンの口を開け、中をじっと見る。

「ふーむ。歯茎が炎症を起こしているようですね。でもそれよりも…」

なにやら考え込んでしまわれた。医者が無口になることほどこちらをドキッとさせるものはない。たちまち不安にかられた私たちはじっと先生の言葉を待った。

「炎症よりも、この下顎の腫れが気になります。」

先生はこうおっしゃった。確かに1週間ほど前からゴエモンの下顎の左側が少し腫れているのには気づいていたが、触っても痛そうな気配はないし、餌も良く食べ元気に動き回っていたので、別段気にはしていなかったのだ。

「レントゲンを撮りましょう。」

ゴエモンは生まれて始めてX線を照射されることになった。

撮影後、しばらく待って再び診察室へ。

「これを見てください。」

先生は2枚のレントゲン写真を我々に見せた。1枚はゴエモンを左側面から写したもの、もう1枚は頭頂部からと下側からとの2つのアングルを1枚に撮影したものだった。

先生は下顎の腫れている部分を指さし、

「ここです。下顎の右側の骨は、はっきり写っていますが、左側はぼやけています。これは骨が融けている状態なのです。」

え?骨が融けてる?ということは…

「大変お気の毒ですが、骨の癌と思われます。まず間違いないでしょう。」

うわわわ、癌!予想もしていなかった結果だ。

「猫でも犬でももちろん癌にかかります。幸いゴエモン君の場合は、まだ内臓への転移はみられないので、今日明日にどうこう、という心配はありません。」

「治療法はあるんでしょうか?」

「もちろんあります。しかし、外科的に治療をするとなると、下顎を全て切除しなければなりません。そうなれば餌は鼻にチューブを通してそこから、ということになってしまいます。」

「化学療法や放射線療法は?」

「大学病院などで治療を行っているところもあります。しかし、現段階では実験の域を出ていないのです。どの薬をどれだけ服用したらどうなる、とか、照射する放射線の量は、という臨床データを研究している段階だと理解して下さい。ですから確実に治療効果があるとは言い切れないのです。」

先生はこういった内容のことを、我々を気遣い、言葉を選んでゆっくりと話して下さった。人間の患者を抱えた家族に対する癌告知のように。

「ご希望があれば紹介状を書きますが…。」

先生の口調は、あきらかにあまりお薦めできない、というニュアンスを伝えていた。我々も同様である。

下顎を取り除くなんてことは、私も妻も絶対にやりたくない。そんなことをしては、ゴエモンの生きがいである「餌を食べる」という行為ができなくなってしまう。鼻のチューブから流動食をもらっても、嬉しくないだろう。私だってアルコールを血管に注射されても全然嬉しくない。

それに遠くの病院に入院させて、効果のはっきりしない治療を受けさせるのも気が進まなかった。くどいようだが、ゴエモンの楽しみは食事なのだ。入院で不自由な思いをさせたまま最後を迎えるようなことは、させたくなかった。

先生の、今すぐに様態が変わることもない、という言葉を頼りに、家で看病することにその場で決めた。ゴエモンには痛み止めと炎症止めの薬が処方された。ピンク色の甘いシロップで、朝晩の食事前にスポイトで与えることになる。

ゴエモンは、この薬と一生つきあっていくことになるのだ。勿論私たちも。

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