97年4月前半

猫には人間に見えないものが見えるらしい。たまに2匹揃って同じ方向をじーっと見つめていることがある。その視線の先には何もなく、リビングの入り口ドアの方、廊下のあたりを見ていることが多い。目にはあきらかに緊張の色が感じられる。階下の物音に反応しているのかとも思ったが、下に誰もいないときにも同じことをするので、やはり何かが見えているのだろう。何も動くものなどないのに、2匹の頭が同方向へ動くこともある。

私も妻も、彼らが何をが見ているのか気にならないではないが、深く詮索はしない。恐いからだ。今のところ何の被害もないので、世はなべて事もなし、と毎日ポレポレと生活している。脳天気な夫婦です。

ゴエモンの出血が激しくなったので、病院へ連れていった。先生は口の中を見るなり、

「あ、歯が抜けかかっていますね。ぐらぐらです。抜いてしまいましょう。」

とあっさりと左側の奥の2本を抜いてしまった。麻酔もしなかったが、ピンセットでつまんで軽く引っ張ると簡単に抜けてきたので痛みはなかったようだ。ゴエモンも平然としている。この抜歯が良かったようで、それからはあまり出血しなくなった。少なくともこれからはスプラッタ猫にはならずにすむかもしれない。

ゴエモンの食欲は衰えない。まさに無敵の食欲である。しかし、この食欲が裏目に出てしまった。大きくなった左顎の膨らみのために下顎全体が左側へ傾斜して、右側の前歯がちょうど口の真ん中にきてしまったのだ。これでは歯が邪魔して思うように餌が食べられない。この前歯はまだ丈夫なので簡単には抜歯できない。

腹は減るのに少しずつしか食べられない、というなんとも可哀想な事態になってしまった。おかげで今までは朝夕だけだったゴエモンの餌くれ攻撃が1日中続くようになった。ちょっとでも人間が動くと足元へ駆け寄ってきて

「にゃ。にゃ。にゃ。」

と催促をする、欠食猫となってしまった。口の中もかなり腫れ上がっているので、声も出にくくなり以前のような力強い鳴き声ではなくなった。なんとも哀れを誘う物悲しい声である。

仕方なく、ペットショップへと走り、小猫用の離乳食と粉ミルクを買ってきた。こいつを注射器で口の中へ流し込もうという作戦である。嫌がるゴエモンを無理矢理押さえつけて試してみた。結果、ミルクはなんとか飲むが、離乳食は失敗である。口の中へ流し込んでも吐き出してしまう。そのくせ味は気に入ったらしく、吐き出したやつをペロペロ舐めたりはしている。ならば食え。

次に餌台を工夫した。低い位置に置いてあると嚥下しにくいようなので、ゴエモンが立った姿勢で口のあたりに皿がくるような台を作り、皿も口が広いボウルのような形のものにしてみた。これだと、非常に時間がかかるがなんとか食べることができるようだ。

水もうまく飲めないので、これは注射器で適宜与えることにする。いやはや、ゴエモンはこの1週間でなんとも手のかかる猫になった。それでも元気に歩きまわるゴエモンを見ているとやはり嬉しくなる。

「食べられなくなったらあっという間です。」と先生もおっしゃていた。ならばゴエモンに食欲がある限り、どんなことをしても餌を食わせてやろう、と夫婦で沈む夕日に堅く誓い合うのであった。あ、沈む夕日というのは嘘です。すみません。

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