失礼なばあ様

妻になるであろう女性も私も、カンクンを知らなかった。ちょっと調べてみると、そこはメキシコ政府がかなり力を入れているリゾート地で、ハリケーンで施設が全滅したときも、あの何事にものんびりしたメキシコ人がよってたかってあっと言う間に直してしまったぐらいである。

写真を見せると妻になるであろう女性も気に入ったようだ。まずは成功。

「でね、ここからだとマヤ遺跡を見にいけるんだよ。そのオプショナルツアーも申し込んでおいたから。」

意外なことになんの異議もなく提案は可決された。彼女もマヤに興味があるようだ。さすがに妻になるであろう女性だ。これで全てOKである。あ、忘れていた。結婚式というものをやらなきゃいかんのだった…。

いきなり時が過ぎ、我々は成田空港にいる。ここに至るまでになにかとても恥ずかしい目に会った気がするが、考えないことにしよう。横にいるのは、妻になるであろう女性から妻になった女性だ。これで「妻」と一文字で書けるようになった。楽である。

申し込んだツアーは添乗員なし、最小催行人数2名であったが、どうやら我々の他に申込者はいないらしい。まず旅行会社のカウンターへ行き、チケットやらなにやらを受け取ると、担当のお姉さんがニコニコしながらこう言った。

「すみません。ホテルのバウチャーが間に合わなかったので、現地の係員から受け取って下さい。手配済みですから。」

早くもバカ旅の予感がするが仕方が無い。元気良くお返事をしてその足でアメリカン・エアラインのカウンターへ行き、チェックイン。まずはアメリカ、ダラスまでの旅である。飛行機は時刻どおりに飛び立った。機内では毎度のことだがひたすら飯を食わされる。しかし喜んで全部食ってしまった。もっとくれ。

12時間後、とてつもなくへたっぴいな着陸でダラス・フォートワース空港に着いた。スチュワーデスのおばちゃん(お姉ちゃんではない)が露骨に顔をしかめて

「へたくそ」

と言っていた。私もそう思う。ここでカンクン行きの便に乗換えである。3時間ばかり時間がある。待合室の椅子に座って阿佐田哲也を読むことにした。うー、面白い、面白い。やはりなんと言っても、海外旅行には阿佐田哲也である。

すっかり頭の中は博徒と化して、知らず知らずの内に空いている右手で麻雀牌を積もる動作をしていると、アメリカ人のおばあさんが話しかけてきた。

「おまえはこれからどこへ行くのか」

とてもゆっくりと話してくれる。こちらの語学力はお見通しのようだ。

「わたし、これからメキシコ、いくあるね。」

かなり頭の不自由な人が喋っているような英語で答える。

「おお、メキシコ。私もメキシコシティへ行く。おまえもか。」

「いや、カンクンあるね。カンクンごぞんじ?」

「私は孫に会いに行く。娘がメキシコシティに住んでいるのだ。」

こちらの質問は無視されたようだ。それとも通じなかったのか?

「おまごさんあるか。たのしみのことあるね。」

「あまえはどこから来たのか」

「にほんあるよ。とうきょうね。」

「おお、遠いところから良くきたな。仕事は何をしている」

「かいしゃいんあるね。いまはやすみのことあるよ。」

「ところでスペイン語で<おばあさん>はなんと言うのか?」

いきなりの展開である。きっと孫にスペイン語で「おばあさんですよ」と言いたいのであろう。私は鞄から日本語→スペイン語の辞書を出した。

「それは何か。」

「にほんごからすぺいんごへのじしょあるね。」

するとおばあさんは目を輝かせ、こう言った。

「おまえは偉い。そんなもので日本語の勉強をしているのか。」

「???」

「何年くらい日本語の勉強しているんだ。」

「?????」

「……おまえ、なに人だ。」

「……にほんじんあるね。」

ここに至ってこのおばあさんが私のことをメキシコ人と勘違いしていたことに気づいた。おばあさんも自分の間違いに気づいたらしく、態度が豹変。それまではニコニコしながらゆっくりと話していたのだが、眉間に皺を寄せて早口でまくしたてたかと思うと、スペイン語の<おばあさん>も聞かずに席を立って行ってしまった。必死のヒアリングによると、

「日本はずるい。今中東がどういうことになっていると思うのか。おまえの国ももっと協力せんか。」

という様なことを言っていた。ちょうどイラクがクウェートに侵攻したばかりで、日本の対応が取りざたされている時期だったのだ。湾岸戦争が始まる3ヶ月前である。

おばあさんの豹変ぶりにはなんだかちょっと悲しくなったが、

「なに言ってんだ、アメリカなんて軍備にばかり金をかけやがって、経済はからっきしじゃあねえか。」

と啖呵を切ってやろうと思い、えーと、S+V+Oかな、あれ軍備ってなんてったかな、などと考えているうちにおばあさんは去っていってしまったのだ。悔しい。

それにしても私をメキシコ人に間違えるとは、失礼なばあ様だと思ったのだが、失礼なのはこのばあ様だけではないことが、この後いやと言う程判明するのであった。

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