あやうく家なき子

カンクン行きの飛行機材は、727だった。カンクンがオフシーズンのため、機内に乗客はまばらである。搭乗員は殆どが若いおにいちゃんで、なんだかつまらん。救命胴衣の説明を英語・フランス語でやっていたが、一人のおにいちゃんはフランス語のときに説明の順序がわからなくなり、最後は紐を首にまいて舌を出していた。客は大受けであった。

無事カンクンへ到着したのが夜の10時ごろ。当たり前だが外は真っ暗である。現地係員が来ているはずなので、それらしき人を探したが見当たらない。まぁ、その内むこうが見つけるだろうと目立つ場所でじっとしていたが、10分ほど待っても誰も近寄ってこない。

忘れられたかと思ったが、さっきから我々をちらちらと見ている男がいるので、もしやと声をかけてみると、なんとそいつが係員だった。やる気がまったく感じられない奴である。しかも此奴の英語は恐ろしいほどのスペイン語訛りで、何を言っているやらさっぱりわからん。まぁ、向こうもこいつの英語は言葉ではないと思っているだろうが。

迎えのマイクロバスに乗りホテルへ向かうが、その道々成田で旅行会社のお姉ちゃんに言われたとおり、ホテルのバウチャーの件を話すと、思ったとおりこの男、そんなものは知らんと吐かしやがった。ああ。やはりバカ旅と化してしまった。

バスは街灯のない道を直走り、インターコンチネンタルホテルへ到着。現地係員は他の客を別のホテルへ届けるためにさっさと行ってしまった。我々だけでフロントのお姉ちゃんと交渉を始める。

「ここにとまるはずのことあるね。でもばうちゃーないあるよ。OKあるか。」

「お客様のお名前ではご予約されておりませんが。」

「あいやー。このりょこうかいしゃのなまえではどうあるね。

「あいにくとそのお名前でも……。」

「こまたあるね。なんとかならないか。」

「お部屋に空きはございますのでお泊まりにはなれますが、料金は別途頂くことになります。」

新婚旅行でメキシコまで来て、家なき子では仕方が無い。

「しかたないあるね。おねがいするのことよ。」

クレジットカードを提示して宿泊OKとなった。

「明日再度確認を致します。」

お姉ちゃんはやさしくこう言ってくれたが、あまり期待できないのはあきらかである。ともかく宿は確保できたのだ。よしとすべきだろう。オフシーズンで良かった。

部屋はパンフレットで見たとおりで、中々良い。床は石張りで素足になるとひんやりして気持ちがいい。窓を開けると目の前にカリブ海が広がっているが、夜なのでよくわからん。明日も早いのでシャンパンで妻と乾杯し、さっさと眠ってしまった。

翌朝8時、昨日の係員とホテルのロビーで待ち合わせ、オプショナルツアーのスケジュールなどの確認を行う。

「おはようございます。さっそくですが、楽しい楽しいオプショナルツアーはいかがですか。」

この野郎、宿泊の件は何も言わずに、いきなり営業である。まあ腹は立てるまい。私は温厚なのだ。

もともとマヤ遺跡以外は予定も立てていなかったので、今日1日はホテルでのんびりすることにして、明日から「スキンダイビング」「メキシカンダンスディナーショー」「イスラ・ムヘーレス島への1デイクルーズ」の3つを申し込む。本当はコスメル島でスキューバをやりたかったのだが、妻はライセンスを持っていないので諦めた。体験ダイビングという手もあるが、初めてのスキューバが外国というのは妻も不安らしい。コスメル島はダイバー憧れの地ではあるが、新婚旅行で我侭を言ってはいけない。と当時は思っていた。

「その他なにかありますか。」

こいつの英語は相変わらず聞き取りにくい。申し込んであるチチェン・イツァのことを何も言わないのでもしやと思い尋ねてみた。

「まやいせきへはいついくのことあるか。」

「3日後のツアーに空きがあります。スペイン語と英語のガイドがつきます。」

「いや、にほんでもうしこんであるつあーね。」

「聞いてません。」

ああ、まただ。

[たしかにもうしこんだのことよ。おかねもはらたね。よくみるよろし。」

「いえ、申込の連絡は受けてませんが……」

彼の勤務先である現地旅行会社に電話をかけてもらい確認してもらったが、やはり知らないという。埒が明かなくなってしまった。仕方ないのでここで3日後のツアーに申込むことにした。まったく、余計な金ばかりかかる。日本に戻ったら絶対取り返してやるぞ。

「これ、私の名刺です。何かあったら連絡下さい」

彼はこう言ってくれたが、この名刺、実は全然役に立たなかったのである。

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