そうか、私が悪かったのか

ホテルの部屋から見るカリブ海は美しいの一言。この海だけでもカンクンに決めて良かったと思わせる。朝食を取ってフロントへ行くと、昨日のお姉ちゃんはいなかったが、事情を把握しているおじさんがこう言った。

「お客様のご予約はここの旅行会社の名前で入っておりました。従いまして、別途料金は頂きません。」

うーむ、これは現地旅行会社とあの係員との連絡ミスなのか、それともあいつのチョンボなのか。どうも後者の気がしてならないのは悪気というものだろうか。ともかく、これで宿泊に関しての不安はなくなった。安心してプールサイドでくつろぐことにする。

水着に着替え、本を持ってプールへ。ここでもオフシーズンのため人は殆どいない。数人がプールサイドのベットで日光浴や読書をしているだけ。私も素早く木陰に行き、昨日の続きを読みはじめた。またもや頭の中は鉄火場である。

喉が渇いたなあ、と思ったちょうどその時、ホテルの従業員が注文を取って回り始めた。おお、よい頃合いである、と喜びお兄さんを待っていると、私のとなりに寝ている人の注文を取り始めた。

「何かお飲み物はいかがですか。」

[水をくれ」

「かしこまりました」

お兄さんが私のところへ来た。どうしようかな。ビールにしようかな。それともノンアルコールがいいかな。などと考えていると、

「§≒♂‡※∇♪〒。」

なんだ?なんと言ったのだ?私が呆然としていると、再び

「§≒♂‡※∇♪〒。」

「あなた、なにいてるか。」

「失礼しました。お飲み物はいかがですか。」

なんとこのお兄ちゃん、スペイン語で注文をとりやがったのだ。隣の人とは英語で話していたくせに、私にはスペイン語とは。

「なにもいらないあるね」

気をそがれた私は思わずこう言ってしまった。ああ、気の弱い私。それにしてもダラスで私をメキシコ人と間違えたおばあさん、あなたは悪くなかった。み〜んな私の風貌が悪いのだ。メキシコ人にまで仲間と思われるとは。

この話を後からプールへやってきた妻にすると、激しく受けてしまった。あんまり笑うと気を悪くするぞ、と言っても笑いが止まらない。そう言えば前に香港へ行ったときも現地人に間違われたっけ。あの時は日本人と良く似た民族だから気にならなかったけど、今回はメキシコ人だもんな。インディオって、日本人に似てるけどやっぱり良く見りゃ違うんだけどな。混血のメスチソと間違われたのかな、ぶつぶつ。

昼飯をプールサイドのレストランでとり、午後もさらにのたくたしていると、上空からホイッスルの音が聞こえた。なんだなんだと見上げれば、パラセールに乗った男が激しく笛を吹き鳴らしている。どうやら客の勧誘らしい。隣にいたアメリカ人らしいカップルが、早速目の前のビーチに降りて行き空高く舞い上がった。

見物して気づいたが、ここのパラセーリングは滞空時間が異様に長い。ボートで引っ張る距離も半端ではなく、海上はるか、ボートが点になるまで沖合いに出て行く。たっぷり10分は飛んでいるようだ。

これは面白そうではないか。帰ってきたカップルに料金を聞くと、一人50000メキシコペソだそうだ。日本円で2500円。あの時間楽しめて2500円ならまぁ、お買い得と言える。我々も遊ぶことにした。そう、バカは高い所が好きなのだ。

しかしその前にトイレに行こうと思ったのが間違いだった。カメラも取ってきたいからと、部屋に戻り用を足したのだが、なんとトイレが詰まってしまった。幸いにも液体の方だったので見た目の悲惨さはなかったが、水が勢い良く渦を巻きながら淵をめがけて上ってくる。あわや、というギリギリのところで水は止まったが、一向に引く気配がない。一体何が詰まったのだ。私は尿道結石ではないぞ。

ハウスキーパーを呼ぼうと電話をかけると、

「わたし、えいごわっからないね。すぺいんごぷりーずね。」

という恐るべき返事が帰ってきた。他に誰かいないのか、といってもさっぱりわからない様子なので一旦電話を切り、あわてて旅のスペイン語ガイドを取り出しトラブルの項をを探す。ない。「トイレが詰まった」などという構文は載っていない。役に立たないガイドブックだ。

次にダラスで活躍しそこねた辞書を取り出し、「詰まる」を引くと、おお、載っているではないか。まるまる「トイレが〜」という例がある。偉いぞ。

再度電話をすると、先ほどのお姉さんが出た。生まれて初めてのスペイン語会話が「トイレが詰まった」というのも情けないが、なんとか通じたようだ。スペイン語の発音は、殆どローマ字読みなので喋るときにはあまり苦労がないのである。

「OK」

という非常に分かり易い返事を貰い、ひとまず安心。しかし、それから待てど暮らせど修理に来ない。のんびりにかけては、我々夫婦も日本人離れしているので腹は立たないが、今にも溢れそうなトイレとパラセーリングが気にかかる。

阿佐田哲也も読み終わり、ビールを3本開けたころ、ノックの音がした。覗くと人の良さそうなおじさんが肩にスッポン(正式名称はなんでしたっけ)を担いでニッコリ笑って立っている。このとき、電話をしてから2時間が経過していた。メキシコもポレポレだったか。

おじさんはトイレに入り、「うむ」と頷くと手にしたスッポンを鮮やかに便器に突き立て力を込める。気合い一閃引き抜くと、溜まった水は再び渦を巻いて吸い込まれていった。おじさんはとても得意そうだ。我々夫婦はおじさんの傍らに立ち、便器を前におしみない拍手を送ったのであった。

急いでビーチに出たが、既に夕刻である。どこにもパラセールの姿がない。近くにいたお兄ちゃんに聞くと、

「今日は潮が満ちたからもうやらない。」

とのお返事。潮が満ちると砂浜が短くなり、助走距離が減ってしまうので、できないのだそうだ。我々は力無く部屋に戻り、トイレ開通を祝ってワインで乾杯。カンクンでの1日目が力無く終わろうとしていた。

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