現地係員のメモ

次の日は、昼はスキンダイビングを楽しんで、夜はメキシカンダンスを見ながらディナー、という予定。しかし、バカ旅はどこまでいってもバカ旅なのであった。

昨日パラセールが不発に終わったあと、ダウンタウンのレストランへ繰り出し、テキーラを腹一杯飲んでホテルへ帰ってみると、フロントのお兄さんが「伝言です」とメモをくれた。あの係員からの伝言である。

それによると、明日のスキンダイビングツアーの集合場所が変わったので、申し訳ないが、そこまでタクシーで言ってくれとのことであった。地名を地図で確認すると、それはカンクンの端っこ、ユカタン半島と繋がっている橋のたもとのあたりだ。ホテルからは10Kmはありそうな所である。

もともとはコンベンションセンターへ集合して、そこからクルーザーでスキンダイビングのスポットまで移動というはずであった。ふむふむ変更ね、OKね、と納得しかけたが、あの係員の顔を思い出し、確認することにした。昨日もらった名刺に書かれている旅行会社の番号へ電話してみる。

しかし、誰も出ない。名刺には夜10時までと書いてあるのに、まだ9時前でこれだ。しつこくかけ続けるが結局連絡はとれなかった。

翌朝、再び電話してみるが、やはり誰も出ない。仕方なくタクシーでメモの場所へ行ってみることにした。そこには今にも倒れそうな野外レストランと思われるバラックがあるだけで、他には何もない。ほんとになにもない。そして誰もいない。いるのは我々夫婦と 気力のない犬1匹痩せこけた猫1匹だけである。目の前は島の内海とカリブ海を繋ぐ細い水路があり、その上に橋がかかっている。こんなところが集合場所なのか?

集合時刻の8時30分がやってきた。やはり誰もこない。戻ろうかと思ったが、帰るためのタクシーがつかまらない。橋のこちら側は空港があるだけなので、車があまり通らないらしいのだ。うーむ、進退窮まってしまった。妻はあきらめ顔で猫と遊んでいる。

私はといえば腹が減って仕方がない。このスキンダイビングツアーは朝食・昼食つきなので、ホテルでは食事をとってこなかったのだ。目の前のレストランには誰もおらず、そもそも営業しているとは思えないたたずまいだ。やけになって犬と遊ぶことにした。

しばらく犬猫とじゃれていると、男の人が4人ほどやってきた。どうやらレストランの従業員らしい。おお、営業していたのか。ぼーっと眺めていると、何かを食べ始めた。忘れようとしていた空腹感が、「忘れないで」と言い出したので、何か食い物はないか、と聞くとこの方々、英語が全くだめのようだ。身振り手振りで腹が減っている、と伝えると時計を指さし、開店は10時だ、とのゼスチャーが帰ってきた。

今おまえ達が食っているものをくれ、と必死のボディランゲージも空しく、これは我々の朝飯である、という様なことを言っている。朝飯の確保は夢と消えた。仕方ない、歩いて帰るか、と腹を決めたとき、別のおじさんが現れた。

「おまえ達、どうしてこんなところにいる。」

おお、ありがたい。英語である。実はかくかくしかじかで、と事情を説明すると、乗るはずのボートの名前を聞かれた。

「ファンタジー号のことあるよ。」

「おお、それならば知っている。毎日ここを通る。」

なに?ここを通る?なんということだ、我々が乗るボートは目の前の水路を通るらしい。それならばここで乗せてくれるということか?なんだかわからないが、飯がくえるかもしれない。私にとってもはやスキンダイビングよりも、朝飯がくえるかどうかが最大の関心事となっていた。

またもや犬猫とたわむれ、空腹感をごまかすこと30分、先ほどの男が我々を呼んだ。

「あれがファンタジー号だ。」

来た。朝飯がやって来た。水辺に寄って待っていると、ファンタジー号が近づいてくる。よし飯だ、と喜んでいると、なんと減速もせず視界を横切って行くではないか。あまりのことに声も出ない。甲板には観光客の姿もあり、ビールらしきものを飲んでいる奴までいる。

「あああああああああああああああ朝飯がぁぁぁぁぁぁぁぁ」

ボートは見る見る小さくなっていった。我々はただ呆然とそれを見送るだけであった。もうだめだ。ホテルへ戻ろう。そしてあの係員をとっちめてやろう。そう決心して荷物を担ぎ歩きはじめると、英語の判るおっさんがこう言った。

「俺の船で追いかけてやる。」

なんと、この方はエンジン付きの小さなボートを持っていらっしゃったのだ。我々夫婦はこの方のお申し出に甘えることにした。公園のボートより少し大きなその船は、とても頼もしく見えた。実際そのスピードは物凄く、しっかりと捕まっていないと、海に落とされそうな勢いで海面を疾走する。気分爽快である。

5分程の追跡で追いついた。我々はおじさんにお礼をしようと思い、5ドル札を手渡そうとしたが、この方は受け取らない。ああ、なんていい人なんだ。

おじさんとファンタジー号の乗員とがなにやらスペイン語で話をしている。事情は通じたようだ。我々は乗船OKとなった。件のメモを見せると、ファンタジー号のおにいさんはただ一言

「こいつはアホだ。」

船内には他のツアー参加者が大勢いて、我々は彼らに拍手で迎えられた。そのときちらりと横目でみると、ファンタジー号からおじさんのボートへビール1ケースが手渡されていた。バカなツアー客を送ってくれたお礼という訳だろう。みんないい奴である。

メモの内容は全くのでたらめで、集合場所の変更などない、とおにいさんが教えてくれる。どこまでも迷惑な現地係員である。しかしこの後、我々は彼に会うこともなく、声すら聞かずに帰国することになるのであった。

とにかく飯をくれ、と頼んだが、既にかたづけたのでない、という返事が返ってきた。昼食までの3時間を空腹で過ごすことが決定した。悲しい。しかしなんと、ここはビール飲み放題であった。しこたま飲んで空腹を紛らわすことにする。嬉しい。

妻は、泳ぎは達者だがスキンダイビングの経験はないので、簡単にシュノーケルの使い方などを教えて、いざ海中へ。水はとてもきれいで魚もよく慣れている。とても楽しいスキンダイビングであった。

待望の昼飯を食べ、さらにおかわりをし、なおかつビールを飲んで、私はすっかり満ち足りた気分になった。テキーラも飲み放題である。日本ならば、酒を飲んでの水泳なんてとんでもない、となるのだろうが、ここでは関係ない。自己の責任において酒を飲み、自己の責任において酔っ払い、自己の責任において溺れるのだ。判り易くてとても良い。

帰り道、あの水路を再び通った。あのおじさんは、というと、ビールを片手に泳いでいた。ボートの上の私を見つけて手を振っている。私も手を振り替えして

「グラシアス!」 と叫ぶと

「デナーダ、アミーゴ」

と返事が返ってきた。この瞬間、私はあの係員を許した。人間誰にでも間違いはあるものだ。

夜はメキシカンダンスを見ながらディナーを楽しむ、というオプショナルツアーだが、ディナーといってもメキシコ料理である。観光客向けのあまり辛くないコースと、オリジナルな味付けのコースとがあり、我々は当然オリジナル。妻はしきりに「辛い」を連発していたが、「ライスなし60倍カレー」一気食いの実績を持つ私にはもの足りなかった。

その夜、ホテルに戻ると、私の肌が異様に発熱していることに気づいた。辛さのせいではなく、日焼けである。それ程焼いたつもりはなかったのだが、甘かったようだ。その晩はカーマインローションを染み込ませた洗顔用パフを全身に貼り付け、即席ミイラ男となって寝る。

案の定、今晩もあの係員とは連絡が取れなかった。

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